歯科一の治療 | 緑の日記・ライカQ & Leica M 写真BLOG
顎関節症をアメリカ歯科標準治療の歯列矯正で完治させているG.V. BLACK DENTAL OFFICEの1日をライカのカメラで撮影し紹介するブログ
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レベルの高い治療を受けたいと思う人は、それなりのところに行かないと希望はかなえられないという事実

Dental Demand

もう2度と歯では悩まない人

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小さい頃から歯で悩んでおり、

20代半ばにして

奥歯を3本抜かれています。

前歯も差し歯だらけで、

疲れるとうずきます。

今までの経験からすると、

うずく歯は必ず抜歯になったので、

このままでは30代にして

総入れ歯になるのではないかと不安です。

父も母も50代を前にして

総入れ歯になりました。

ちゃんとした治療を

受けられるのであれば

自費でもかまわないので、

マスコミで評判の歯科医院や、

ネットの口コミサイトで

良さそうな歯科医院には、

遠くても通ってきましたが、

どこに行っても歯は悪くなっていきます。

こんな私でも、歯で悩まなくなる日は

来るのでしょうか?

須藤純子

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今は歯科の神様になっている

G.V. BLACK先生の患者であったマイクが、

フロリダからシカゴに飛行機に乗って、

自分の5才の娘のジェーンを

最初にシカゴ市にある

G.V. BLACK DENTAL OFFICEに

連れて行った時、

話したことが伝わっています。

☆☆☆

My dear Jane,

歯科治療を受けようと思っている人には

5種類の人がいる。

(1)歯医者ならだれでも良い人

(2)歯を治すために、近所の安くて

良い歯医者を探そうとする人

(3)歯を治すために、近所の高くても

良い歯医者を探そうとする人

(4)歯を治すために、遠出してでも

良い歯医者を探そうとする人

(5)歯を治して健康になるために、

「ほんとうの治療」を行うDentistを

求めてどこまででも行く人

だれに聞いても、

歯を治すのなら歯医者に行けば良いことは

知っている。

だけど、

一生歯と健康で悩まないでいられる人は

だれだと思う?

1934年04月05日

Mike Reed「歯聖 G.V. BLACK」

☆☆☆

アメリカにはデンタルディマンド

【Dental Demand】

という言葉があり、

この言葉を日本の臨床の場で、

最初に使い始めたのは私でした。

1996年のことです。

自分はどのような

歯科治療を受けたいのか?

その希望のレベルを

表している言葉です。

デンタルディマンド

【Dental Demand】

が高いというのは

レベルの高い

歯科治療を望んでいる

という意味になり、

デンタルディマンド

【Dental Demand】が低い

というのは、その逆になります。

つまり上記のマイクの例で言えば、

(1)→(5)に向かって

デンタルディマンド

【Dental Demand】は

高くなっています。

デンタルディマンド

【Dental Demand】の

究極の目的は、

健康な歯で

健康な人生を送る

ということです。

この(1)→(5)を表にして、

デンタルディマンド

【Dental Demand】別に

どのような歯科医院で治療を受ければ

満足できるのかを当てはめると

こんな感じになります↓。

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全ての歯科治療施設を三角形で表すと、下から、↑

(1)デンタルディマンド・レベル1

一生通うと10本以上の歯が

なくなっても良いとしている歯科医院

(日本にある歯科医院の60%を占める)

(2)デンタルディマンド・レベル2

一生通うと6本以上の歯がなくなっても

良いとしている歯科医院

(日本にある歯科医院の30%を占める)

(3)デンタルディマンド・レベル3

一生通うと4本以上の歯がなくなっても

良いとしている歯科医院

(日本にある歯科医院の9%を占める)

(4)デンタルディマンド・レベル4

一生通うと2本以上の歯がなくなっても

良いとしている歯科医院

(日本にある歯科医院の1%を占める)

以上で日本の歯科医療施設の100%を占める。

(5)デンタルディマンド・レベル5

一生通っても歯が1本もなくならない

アメリカ歯科標準治療を行っている

Dental Office

となります。

つまり、デンタルディマンド

【Dental Demand】の

高いレベル5の人は、

日本には満足できる歯科医院はない

ということになるのです。

私がG.V. BLACK DENTAL OFFICEを

日本の東京で20年前に開業したのは、

このレベル5の治療施設が

日本にはなかったためでした。

これがなければ、

レベル5の人たちは、

日本に住んでいる限り、

自分の希望は

叶えられないことになります。

また、レベル5の治療施設がない

というのは、

日本が歯科治療のレベルにおいて、

先進国の仲間入りを果たしていない

ということになり、

これは、

誇り高き日本人として

恥ずかしいことです。

私自身、高級外車が1台買えるような

高額の治療代を払い、約30年前に、

銀座にあった「天皇陛下の歯医者」さん

で受けたフルマウスの歯科治療が

アメリカのスタンダードな

歯科治療の見地からすると

レベルの低いインチキ治療

にしかすぎなかった、

という苦い経験があったので、

その思いはなおさらでした。

しかしながら、その後、

G.V. BLACK DENTAL OFFICE

開業から

20年が過ぎた現在も、私の知る限り、

Evidence Based Medicine (EBM)に基づいた

アメリカ歯科標準治療「ほんとうの治療」を

日本で行っているのは、

G.V. BLACK DENTAL OFFICE だけです。

その理由は、

アメリカ歯科標準治療を

マスターするためには

日本人にとって入学するのも難関な、

アメリカの有名大を卒業し(4年必要)、

歯学部入学試験を受けてパスした後、

日本人にとって

入学するのはほぼ不可能な、

アメリカの有名歯科大学を卒業し(4年必要)

特定の有名歯科大学院で

著名な教授陣から

臨床技術の直接指導を

2年以上にわたり受け、

トレーニング期間が終わったとき、

客員教授などのポジションを

与えられることで

認められなければなりません。

つまり、上記の全てを満たすのには

アメリカに留学して10年の年月と、

それにかかる費用(最低数千万円)、

授業について行く英語力

(TOEFL850点以上)、

授業内容を理解する理解力、

臨床技術をマスターする手先の器用さ、

患者との

コミュニケーションをするときの

英会話能力

(TOEFL850点以上でも足りない)

などが必要とされます。

通常、

このような能力と経歴を持つ者は、

アメリカ国内の歯科医院の院長や

歯学部の教官として、

経済的にも、社会的にも、学術的にも、

将来を約束されることから、

日本には帰国せず、

アメリカで幸せな一生を

過ごすことになります。

事実、私にも、そのようなオファーは

沢山ありました。

従って、そのような良い話を断って、

何の保証もないばかりではなく、

患者のためになるとはいえ、

同業者の全てを敵に回すような

日本歯科医療の改革を志す者など、

今後も、G.V. BLACK DENTAL OFFICEの

他には現れないと、私は思っています。

ちなみに、

私は、世界で一流とされるDentistたちと

年に数回、話す機会があるのですが、

「アメリカに来たがる日本で普通の歯医者は

引きも切らないのに、

日本に行きたがった

アメリカの一流のDentistは

あなたが最初で最後だろうね。」

と言われ続けて20年が経過しました。


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↓歯で悩んでいる人に朗報

*30分でわかる全歯科治療の真実*

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だから

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そしたら

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それを20年以上にもわたり

実際の治療現場で証明し続けている

Norman Yamazaki, DDS.

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| 歯科一の治療 | 00:00 | comments(1) |
顎関節症の治療ということで睡眠導入剤や精神安定剤を使っている人に聞きたいのですが、症状は薬を飲むことで良くなっていますか?いたら奇跡かも

June 11, 2004

神農ヶ原の敵討ち

顎関節症治療の名目で薬付けにされた人の末路

Della2004の来られた理由

さてDella2004です。

今日はProphyでした。

Della2004がスピーディーに

G.V. BLACK DENTAL OFFICEに

来れた理由の一つが、マスコミで有名な

N歯科医院に行っていたからです。

ここは「顎関節症患者の墓場」と呼ばれている

恐ろしいところで、ここに行った人は

永遠に治ることはなく、

最後は自殺する人までいる、

ということからイカシカの人たちは

そう呼んでいました。

それでもN歯科医院の院長は週刊誌などによると

顎関節症の第一人者なのです。

私も昔、N歯科医院にかかっていた人が

G.V. BLACK DENTAL OFFICEに来たことがあり、

N歯科医院で行われている治療のひどさは

十分肝に銘じています。

Della2004にも話しましたが、

ケイコという娘はN歯科医院にかかり、

薬漬けになり、

最初はデパスだけだったのに、

睡眠薬や抗うつ剤も飲み始め、

薬がどんどん強くなってゆき、

歯科医院で出せる

限界の強さでも効かなくなると、

さらに強い薬を求めて

鎌倉の精神病院に行き、

薬の副作用がでて、

それからしばらくして

ビルの屋上から

飛び降りて死にました。

ケイコがえんちゃんの紹介で

G.V. BLACK DENTAL OFFICE にやってきたのは、

鎌倉の精神病院にかかった直後であり、

自分から、

こんなに薬を飲んではダメだ!

なんとかしなければ・・・

と考えて、自分がかかっているのと同じ病気の

顎関節症から治ったえんちゃんを頼って、

G.V. BLACK DENTAL OFFICEにやって来たのでした。

顎関節症はここで

歯を治せば

絶対に治るのですか?!

絶対ですか?!

と聞くので、

歯の治療を受けた後、

薬をやめることができれば

必ず治る!

と私は答えましたが、その答えを聞いて、

今すぐ薬を止める決心の出来なかったケイコは、

精神病院に戻り、その6ヶ月後に死んだのでした。

当時は私も若く性急で、

上記のように答えたものの、今なら単に、

簡単に治るよ!

とだけ答えて、

薬はG.V. BLACK DENTAL OFFICEで受ける

ホワイトニング終了までの

2年間の治療の間に、

徐々に減らしていき、

最後には止められるような

方法を取るのが正解

だったのです。

このケイコの死は、

G.V. BLACK DENTAL OFFICEに、

そのことを気づかせてくれ、その後は、

そのような治療をするようになり、

今まで救えなかった人々も

復活出来るようになりました。

私はそれに気づいた時、

N歯科医院にかかって

困っている人が来たら、

必ずケイコの仇を取るつもりでいました。

医療における敵討ちは、

同じ病気の人を

前は治せなかったけれど、

今度は完全に治す!

というものです。

つまり、N歯科医院で、

薬漬けにされた顎関節症患者を、

ほんとうの治療で歯を治し、

顎関節症を治し、

最後には自ら薬を切り、

健康で楽しい人生を

歩めるようにする!

ということなのです。

従って、Della2004の復活物語は

私の敵(かたき)討ち物語であり、

読む人全てに感動を呼び起こす、

そんな物語です。


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| 歯科一の治療 | 00:18 | comments(0) |
顎関節症・咬合挙上は禁忌!レジンを盛って顎の位置を変えるというのは百害あって一利無し。覚えておいてね。

顎関節症・咬合挙上は禁忌!

今日の一番は内海岩雄でした。

#2,3 FGC Delです。

Prepはこんな感じになります↓。

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歯ぐきの治るスピードがナイスです。

TIFF のFGCです↓。

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こちらも言うことはありません。

この段階で#14,15は未治療ですが、

新しい咬合の高さが決定しました。

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12/16/00 本日治療後の様子↑

内海岩雄がG.V. BLACK DENTAL OFFICEに

初診できたときの正面から見た様子です↓。

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08/02/00 初診時の様子↑

マスコミ受けのする顎関節症の名医が、

最高だと自画自賛した

内海巌を苦しめた咬合は

こんなに高いものでした。

前歯に隙間ができるくらい

奥歯を高くしてあります。

とても不自然で、

見るからに不安定な咬合です。

これでは体がおかしくなるのは

無理もありません。

4ヶ月の治療を経て

G.V. BLACK DENTAL OFFICEで

決めた咬合をもう一度見ます↓。

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12/16/00 本日治療後の様子↑

上の前歯が下の前歯に多い被さっています。

これが内海岩雄が受け入れられる咬合なのです。

マスコミ受けのする

顎関節症の名医は内海岩雄が

受け入れられるよりも3mm以上も

高い咬み合わせにして平気でした。

このような日本の歯医者さんは、

自分がしている人間破壊の意味を

わかっていません。

全国の顎関節症で

悩む人たちで「咬合挙上」を

お題目に治療を受けている人は、

注意が必要です。

なぜなら、

プレートにしろホテツにしろ、

日本の歯医者さんが

わけも判らずに

自己流でやっている治療には、

患者さんを治すという

結末は永遠に訪れないからです。

訪れるのは

ただ単に悲惨な現実です。

マスコミ受けのする

顎関節症の名医たちに

破壊された人の数は、

G.V. BLACK DENTAL OFFICEを

訪れる人の数から推察する限り、

途方もなく多いのです。

しかし、

そんな人々たちと

内海岩雄はこれで

決別することになりました。

日本の歯医者さんの

NO GOODな治療から数年を経て、

ようやく普通の状態に帰るのです。


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| 歯科一の治療 | 23:47 | comments(0) |
Greene Vardiman Black ダニエル 12:3-4 G.V.Black博士はアメリカでは最も尊敬されるDentistですが日本では名前さえ知らない歯医者さんがいます。なんで?

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Greene Vardiman Black

August 3,1836 - August 31,1915

G.V.Black博士は近代歯科医療の父と呼ばれ、

アメリカはもとより世界中の歯科医師から、

最も尊敬されている歯科医師であり、

また歯科医療の歴史の中でも、

最も重要な人物であるとされています。

G.V.Black博士が考え出した治療方法、治療道具、

治療設備、治療理念は、材料と機能の面では

科学の進歩同様日進月歩で常に向上していますが、

それを支えている理想は

G.V.Black博士の時代と全く変わっていません。

G.V.Black博士は次の聖書の一節を、

自分の後に続く歯科医師に

伝えていたことが知られています。

DANIEL 12:3-4

And those who have insight

will shine brightly like the brightness of

the expanse of Heaven, and those who

lead the many to righteousness, like the

stars forever and ever.

But for you, Daniel, conceal these

words and seal up the book until the end

of time. Many will go back and forth,

and knowledge will increase.

ダニエル 12:3-4

未来を予言出来る者は

多くの人々を正しきに導く者のように

天国や星のように

永遠に明るく

輝き続けるであろう

しかし、ダニエル、

あなたは最後の時まで

この本を閉じて封印をしなさい

その結果、多くの者は

自ら知ろうとして努力をし、

その結果、知識は増すであろう

(1997年7月14日 Norman Yamazaki, DDS.訳)

*****

死後30年以上経っても

アメリカの学会誌には

博士を讃える文章が掲載されています。

*****

G. V. Black-The Man of
the Centuries

by E. F. Schewe

May 1950 issue of the Washington
University Dental Journal.

Greene Vardiman Black was an alumnus and faculty member of the Missouri Dental College and one of dentistry's all-time great. In fact, he is in a class by himself, considering his background and achievements. Now thirty-five years after his passing, the dental world has not produced his like. He was the dominant dental figure of the last half of the nineteenth century and he may well still be considered the outstanding personality of the first half of the twentieth. He remains our unforgettable character.

The primary purpose of all professions and vocations is to produce men. Therefore, in discussing distinguished personalities, especially scientists, the best approach, I believe, is to analyze the man himself first, and then learn what science has made of him.

In commenting on Sainte-Beuve's "There is in mankind three-fourths of a poet who died young, when the man survived," Charles Wagner added: "In a certain sense this is true, but we can with more truth say that there dies young in three-fourths of us the man himself. In lieu of him there survives a lawyer, a professor, a politician, a financier, a workman, a churchman, and when one wishes to address these survivors (these sad remains) and tell them of humanity and human interests, they answer: 'It is none of our affair.'"

Black the Man - At the age of seven Thomas Edison was a problem. His school teacher said the boy was hopeless, "addled," and useless to keep in school any longer.

Charles Darwin's father thought his son would amount to nothing."My father once said to me," wrote Darwin, "You care for nothing but shooting dogs and catching rats, and you will be a disgrace to yourself and all the family."

The boyhood of Greene Vardiman Black seemed a similar problem. He regarded going to school a waste of time, preferring hunting, fishing and roaming the woods. He could learn more in the woods in an hour than in school in a week, he said. Wild turkeys, pigeons, deer, skunks, wolves, bears and foxes were of real interest to him.

">He would not work on the farm. He was sent out to plow one afternoon. He plowed one row across the field to some willows, spent the afternoon studying birds, plants and animals, and then plowed a row back. Why waste time on school and work when there were more important things to do? he must have thought. Hence the problem to his pioneer folks. They regarded him lazy and stupid. Only his mother understood him and she had him help her in the kitchen.

He was not ill-natured. He was even tempered; loved music, played the double-bass viol, the flute and the violin. He loved to take part in family singing.

In 1852, after seventeen years on the farm, he went to live with an older brother, Thomas Black, a physician of Clayton, Illinois, a graduate of the Louisville (Kentucky) Medical College, who enjoyed a lucrative practice. Tom was Greene's senior by eleven years, and the boy often visited his parents. He was active in the social life of the community and was popular with the boys and girls of the town and countryside. Tom was a good preceptor, and Greene "read" medicine under his direction, and probably would have followed a medical career had not two things intervened. He fell in love with Jane Coughener, whom he married, and he met Dr. J. C. Spear, a dentist in Mt. Sterling, a neighboring town. Perhaps he appeared something of a problem to Dr. Tom also, inasmuch as he gave up medicine, temporarily, and took up the rather obscure trade of dentistry. Yet he and Tom remained close and life-long friends. He never allowed himself to have a falling out with anyone. He was a youth who would not follow the beaten paths of education. He had only twenty-two months of formal schooling, yet he was always studious and learned what he wanted to in his own way. Though lacking in formal education, the honorary degrees he acquired " D.D.S., M.D., Sc.D., LL.D. " are the envy of scholars and scientists.

At that time, medicine, of which dentistry was a part, was far from being a science. The young dentist, prior to 1840, got his training in the office of an older dentist. Black spent several weeks with Dr. Spear and felt that he had learned all that pioneer could teach him. So in 1857 he located at Winchester, Illinois, and was the first dentist in Scott County, and something of a curiosity besides. He soon emerged a professional man in a calling which then was little more than a trade. But his medical studies prompted him to study cause and effect of disease, thus viewing his calling from a wider angle. And dentistry, which then could boast of only three schools and three journals, could scarcely lay claim to much recognition.

Black's life at Winchester was a success. The people were friendly and his home life was everything that could be desired. When the Civil War broke out, the young dentist enlisted in the Union army. While in service he sustained a knee injury, necessitating a long stay in a hospital in Louisville, Kentucky. In the meantime, his first-born son had died and a second son had been born. Then his wife developed tuberculosis and died in 1863. The new young son was taken to the home of the grandparents Black, who made him one of their own. The home at Winchester was broken up, and since Black was not physically able to resume service in the army, he removed to Jacksonville, Illinois, a city of 10,000 inhabitants, and of academies, colleges and state institutions, and where there were literary and scientific societies, and there to practice his profession. That was also in 1863. He took an active and leading part in the life of the community and became acquainted with Miss Elizabeth Davenport, who had been a student at the Jacksonville Female Academy. On September 14, 1865, they were married. He brought his young son from his mother's home, and Carl became the young wife's boy in every sense of the word. No man ever made a happier choice in marriage, for Elizabeth Black was an exceptional woman of refined manners, pleasing personality and gentle dignity, who, with rare insight, tact and devotion, filled a place in the life of her gifted husband. With ardor she entered into his scientific ambitions, and was proud of his many achievements.

When the Missouri State Dental Association held its first meeting in June 1866, Black became a member. And when the Missouri Dental College was chartered on September 15, 1866, he was one of its trustees. He served on its faculty from 1870 to 1881. In 1878, he was awarded the D.D.S. degree. He lectured on pathology, and his lectures, never repetitious from year to year were constantly kept up to date.

The immense output of his scientific work might lead one to believe that he was a scientific recluse. Nothing could be farther from the truth, for he took active part in the community life of Jacksonville. He was president of the Ward Republican Club, member of the Managing Committee of the I. O. O. F. Library Association. He sang in the choir of the Christian Church, and was secretary of the Jacksonville Philharmonic Society, and was Master of his Masonic lodge. His home life, as his friend, Thomas Gilmer, said, "was ideal in every respect." At table, scientific matters were dropped, and we just had a good time with the family in general conversation. There was an air of refinement about it all."

G. V. Black was the model father and husband in the family circle, the ideal professional man in public life, and the scholar and scientist who labored in solitude and without fanfare. Despite the large amount of time and money he spent in extensive research, which has immeasurably enriched dentistry, he never neglected his practice, and always derived sufficient income therefrom, to provide for his family, giving his children every educational advantage, and leaving enough at his death to provide for his dependents.

"The Father of Modern Dentistry"- The pioneer boy who would not go to school nor work on the farm had, in due time, undergone a great transformation. In his own way he educated himself and became dentistry's leading scientist. His share in elevating a trade to a profession is large indeed, and his role in the development and growth of formal dental education is worthy of praise. A supreme ideal of his was to make dentistry autonomous.

It is impossible, in my limited space, to more than summarize Black's achievements. He studied German, Latin, algebra, geometry and the basic sciences in his own way. He worked diligently to learn all he could about the budding science of bacteriology. He studied the works of Pasteur, Koch, Loeb, Ehrlich, Colin, Schwann, Lister and many others. Lister had revolutionized surgery with new methods of applied asepsis and antisepsis.

Black's friend, W. D. Miller of Ohio - another immortal-had gone to Berlin to take up in earnest the study of bacteriology. Black brushed up on his German and French to keep in touch with the results of these investigations. He studied diseases of the mouth and made observations on the influence of acid or alkaline condition upon the teeth. He studied tissues and made microscopic slides of his own. He made almost all of his instruments.

In 1880, Pasteur had discovered the streptococcus and pneumococcus. Black immunized chickens against cholera - a new method in a new field. The discoveries of Eberth in the cause of typhoid fever, Leveran in malaria, and Pasteur and Sternberg in the carrying of pneumonia organisms in the healthy mouth - all these discoveries fired the mind of this dentist. In 1883, he prepared his first book, The Formation of Poisons by Microorganisms. He was the first to announce that all life, including microorganisms, produces injurious waste products, and that they are largely responsible for disease, including dental caries. He quoted Virchow, and discussed the works of Klebs, Volkmann, Beale, Pasteur and Koch to show that microorganisms produce disease. He went to Germany and France to deliver lectures on the results of his research.

In 1890, appeared the first edition of hisDental Anatomy. Of it Dr. Fred Gethro said: "Practically every dental school in the country uses Black's Dental Anatomy. His work was so thoroughly done that no one attempted to write a book on that subject." In 1891, the Dental Cosmos published five of his articles on "The Management of Enamel Margins," in which the phrase,Extension for Prevention, appeared, and a phrase which has become part and parcel of scientific cavity preparation.

For twelve years prior to 1895 Black experimented on amalgam as a filling material. Its status had not changed much since 1845, when the Society of Dental Surgeons in America passed this resolution: "Resolved that any member of the society, who shall hereafter refuse to sign a certificate pledging himself not to use any amalgam, and moreover, protesting against its use under any circumstances in dental practice, shall be expelled from the society." But Black was convinced that amalgam, if scientifically prepared and used, could be a good permanent filling material despite the many alloys on the market, all equally bad.

His study of amalgam was exacting, requiring new instruments, which he himself made. In 1896, he gave us the first formula for a scientifically balanced amalgam, for he knew the secrets of expansion and contraction and he might have controlled its manufacture, commercialized his work, and enriched himself financially. But he did not. He was a professional man, a scientist and educator. "He would not let die in him the man; he would not let perish the buds of art, poetry and science as they have died already in a thousand thousand men." He would place his formula in the hands of the manufacturers. He called them together, and, for a small fee, gave them courses of lectures and demonstrated the making of a balanced alloy. His formula revolutionized dental practice. To illustrate: The Office of the Surgeon General stated that from December 7, 1941, to September 1, 1945, army dentists inserted 68,170,326 permanent restorations and most of them were of amalgam.

In 1908, Black's monumental work,Operative Dentistry, appeared in two volumes, which work was the magnificent culmination of his long labors. From 1864 to 1915 he had produced more than 1300 papers and addresses on scientific end professional subjects. Being a natural born teacher, he studied the problems of education. In 1897, he became dean of Northwestern University Dental School, and in this capacity he served for seventeen years. He became the foremost leader in dental education and helped build one of the leading Dental schools in the world.

On the old farm where he had spent his boyhood G. V. Black passed away on August 31, 1915. His remains were interred at Jacksonville, where he had spent 35 of his most active years. From all parts of the world came messages of tribute to his transcendent ability, his superlative contributions and unselfish devotion. It was universally recognized that, among the men who have stamped the impress of their greatness upon the profession of dentistry, the figure of the immortal G. V. towers upward like a cathedral dome.

| 歯科一の治療 | 01:09 | comments(0) |
G.V. BLACK DENTAL OFFICEで治療を希望する人には年齢制限があります。

November 15, 2002

年齢制限の意味・エムドゲイン・インプラント

G.V. BLACK DENTAL OFFICEの1年は

8月に始まり7月に終わります。

従って1年の最後に当たる6月、7月は今年

やり残したことを振り返る月になっています。

その間にやることは毎年、

過去のメールのチェックと

臨床写真のチェックなど

たいへんな作業になります。

今年は橋の家の長男が逝去したり、

ともらい合戦のさつきフェスティバルで

皐月大賞を取ったりしたので、

異常に整理するものが多く、

応援部隊を頼んでの

処理になりました。

その中で、1通のメールを見つけました。

治療希望者に対する審査が厳しかった

ルパンIII世くん宛ですから、

形式外としてはじいたものでしょうが、

気になるのは、メールには出した日付が

05/14/01なのに、

G.V. BLACK DENTAL OFFICEに転送されたのは

08/10/02になっているのです。

*****

To: <lupin@gvbdo.com>

本日メ−ルを送信しましたが、

うまく送れたか分からないので、

改めて送信します。

拝啓   

初めてお便りします。

私は群馬県在住の52歳男性です。 

妻は48歳です。

まず自分の歯の治療の

経過を説明しますと、

若い頃から歯が悪く

(歯磨き等の管理が悪かったと思います)

28歳の頃3本抜歯の状態でした。 

その時に新橋駅前の

オリヤ先生の書かれた本を見て、

この人なら頼れるのではと思い、

診察をお願いしました。 

初診で治療計画の説明を受け、

自分なりに納得し、

全ての歯を治療していただきました。 

歯磨き指導も受けて、

以後歯ブラシ3本とフロスでの掃除も

怠りませんでした。 

10年ほどは特に

問題も有りませんでしたが、

その後次々に悪くなり

(ブリッジで無理な力が作用したり、

連結冠の為に外さないで、

クラウンの横や咬合面に穴を

開けて治療していた)

歯の根にヒビが入ったり、

クラウンの中身が溶けて

無くなって居たりで

徐々に歯の数が少なくなり、

5年前には残る歯が、

上12本、下10本になり、

上下の部分入れ歯にしましたが、

具合は良く有りませんでした。 

今年のはじめに妻が 

TVで歯の治療を取り上げて居るのを見て、

その出演者の中にT市で

開業しているM先生が居たのです。 

M先生は、エムドゲインの事を説明していて、

その治療を、

妻が受けたいと言うので

3月に診察を受けました。 

その時には、非加熱製剤ということで

エムドゲインは

使用禁止に成って居る事が分かりました

が、普通の治療もかなり高度な印象を受け

(インプラント年間1.000本の実績に

圧倒されてしまった)

まず妻が1本抜歯で

インプラントをして

前後の歯を根管治療後3連のクラウン、

2本の歯を根管治療後個別の

クラウンにする事にしました。 

私も4月より治療をお願いして、

合計9本のインプラントと

13本の根管治療を受ける事に成りました。 

治療を進める内に、

歯の根にヒビが入って居る事が分かり

3本抜歯、4本ガッタパ−チャを

詰めた状態で仮歯。 

妻は1本抜歯で4本仮歯です。  

4月の終わりにたまたま

インタ−ネットの画面で、

同じ内容のひどい治療を受けて、

GVBDOで救われたと言う記事を見て、

直ぐにM先生の予約をキャンセルしました。 

(ほんとうの治療)を注文し、

ホ−ムペ−ジをほとんど読みました。 

その中で年齢制限が有る事と、

デンタルダイアリイを

3カ月以上熟読した後で、

患者総代にコンタクトすると

言う事が分かりましたが、

現在の状況 (私も妻も治療の途中で仮歯の状態)

では3カ月待てないので、

お便りした次第です。  

推薦が受けられないと、

悪いのを承知で、M先生の治療を

受けなければなりません。

沢山の治療希望者が居ると思いますが 

(治療を受けられる 又は 受けられない)

のお返事だけでも頂けたらと思います。

敬具

*****

G.V. BLACK DENTAL OFFICEが年齢制限を

設けている意味は、

(1)G.V. BLACK DENTAL OFFICEが

専門とする歯科治療の分野において、

より良い治療方法を確立するために

必要な年代別の症例を集める

(2)年齢の高い人は今まで受けてきた

不適切な治療に慣れきってしまい、

歯は年と共に悪くなるものだ

という間違った概念を持っており、

ほんとうの治療を受けても、

どうせ悪くなるからと、

G.V. BLACK DENTAL OFFICEが指示する

管理をちゃんとできないため

の2点です。

そして、G.V. BLACK DENTAL OFFICEで

治療希望をする人で、

問題になるのは、ほとんどの場合、

(2)↑に関して

なのです。

歯が良い状態にあるかないかは、

G.V. BLACK DENTAL OFFICEでの治療が30%、

残りの70%は自分の管理となるのですが、

年齢の高い人はこの70%ができないために、

治療を受けても何年後かには結局、

近医に行ったのと変わらない結果

そのような結果になるのがわかっていて

長時間の治療をするというのは、非常に空しいので、

G.V. BLACK DENTAL OFFICEでは

治療はしないと決めているのです。

<つまり

G.V. BLACK DENTAL OFFICEで(2)↑の理由で、

年齢制限を設けているのは、

指示された管理が

出来るかできないか

ということにかかっており、実年齢が年齢制限に

引っかかる場合であっても、

自分は指示された通りのことは

全部できる!というのであれば

年齢制限は関係ない

<ということになります。

そこで上記の夫婦の方ですが、まず

G.V. BLACK DENTAL OFFICEに来ることが

出来る人は、

インプラントに対する事実

を知らなければなりません。

年齢制限は常に科されていますが、その制限を

打ち払うだけの理由と熱意

があればG.V. BLACK DENTAL OFFICEは

治療を許可するのは過去の歴史が物語っています。

そして最も大切なのは、

自分が自分の歯の治療を託すのは

G.V. BLACK DENTAL OFFICEしかない!

と考えているか?

否か?と言うことになります。

G.V. BLACK DENTAL OFFICEで断られたら、

レベルの低いハイシャさんにしか行けないが、

とりあえずどこか探して行く!

というような考えでは

永遠にG.V. BLACK DENTAL OFFICEには

たどり着くことはできません。

願ったことはすべてかなう!

そんな強い気持ちでを持つことが大切だと、

私は考えています。

ちなみに

(1)↑の理由でクリアするのはこんな人たち

です。

全ての人が歯で悩まない人生になりますように。


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| 歯科一の治療 | 22:03 | comments(0) |
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